FFXVを発売したあとのFFをどうするべきだと思うかを書いてみる

 いろいろ思うところがあったので書いてみる。実質的にFFXVの感想の延長戦です。

 FFXVをプレイしながら、FFの次回作はこうなって欲しいなぁという展望が出てきたので書いてみます。

 

 まずFFXVのアップデートはいますぐ中止するべき。DLCはお金を貰っているので仕方ないけど、サービスとして行っているアップデートはいますぐ中止すべき。

 最近行われたアンケートで、本編で語られていない話の追加の項目があったけど、FFXVの話はきっちり終わっているから付け足す必要はないし、変に付け足すと蛇足になる(もっといえば、上手く嵌まった話はなんで本編に入れなかったんだとなる)。

 どーしてもやるなら手間隙が掛かるゲームではなく、小説とかの形でやるべき。そこで付け足したいのは体験ではなく、キャラクターの内面や設定や物語だろうから、それなら小説のが向いてる。

 どうせやるならオープンワールド部分を拡張して面白さを増やすことを考えるべき。

 

 だからといって、MMOっぽくするのもまた違う。

 FFXVの魅力は4人で旅するオープンワールドだと書いたけれど、架空のキャラクターと旅をしたいわけで、ネットワークの向こうにいる誰かと旅をしたいわけではない。MMOをしたいのであれば、FFXIVをやってる。

 もちろんそういう楽しみかたの提案もいいけど、発売されてから後付けで入れるもんではないだろう。

 

 ぶっちゃけいえば、FFXVのアップデートロードマップって、本当は作品に含まれた形で出したかったけれど、時間の関係で出せなかったもの*1を出しているだけにしか見えない。

 それなら発売を延期してパッケージに含めた形で出すべきだったと思う*2。いまさら言っても仕方ないけどさ。

 

 どうせアップデートするなら、プロンプトの写真に一緒に映ることができるキャラを増やすとかの方向にして欲しい。

 どこかの場所に特定のキャラがいて写真を撮れるとか、一緒にキャンプができるとか、そういうのでいい。本編もそうだし、サブストーリーでも魅力的なキャラがいたわけだから、彼らと写真を撮りたい。

 アンケートの選択肢にプレイアブルキャラの追加の項目もあったけど、そこまでじゃなくていい。キャラクターが限られそうだし。

 プレイアブルで一人よりは、もっと軽い感じでいいから(作中のイリスのようにその場所に行けば一緒に写真を撮ることができるくらいで十分)、たくさんのキャラに対応して欲しい。

 アップデートを行うなら負担が少ないレベルで、4人で旅行するオープンワールドRPGの魅力が増すものに限定して行って欲しい。

 

 で、で、で、

 アップデートを行う代わりに何をやって欲しいかというと、FFXVIをつくって欲しい。

 FFXVで出来損ねた4人で旅するオープンワールドRPGの完全版みたいなやつがみたい。キャラクターも、世界観も別でいい。

 何なら4人じゃなくてもいい。FFXVで触れることが出来たあの楽しさを存分に楽しめる作品が欲しい。

 本当はFFXV-2でもいいんだけどね。ただ、どー考えてもFFXVの最終的な評価がいいとは思わないし、続編は新しい人を遠ざける。だから、完全新作であるべき。

 期間は3年以内に。できれば2年が理想だけど、さすがに無理だろうから3年。

 FFXVのアップデートを止めるべきと書いたのは、これが理由。いまのアップデートロードマップを見てると年単位で掛かりそうだから、それをやってると次がいつになるかはわからない。そんな金にならないことをするなら、新作をつくるべきだと思う。

 FFXIIIからFFXVは期間が7年と長すぎた*3。それだけ期間が開けばブランド価値が毀損するのは当たり前。FFXIIIは評判が悪かったし、尚更。

 そもそもFFはXまで一年に一作品とかのペースで出していたんだから*4、その頃に戻るべき。いまだとさすがに1年は無理だろうが、7年は掛かりすぎ。

 やりたいことを同じにすれば、FFXVの資産も引き継げるだろうし、開発も楽できるんじゃないだろうか(素人考えだけど)。

 とりあえずFFはちゃんとした作品をつくって信用を取り戻すのが急務だろう。せっかくFFXIIIの呪縛から解き放たれることができたんだから、新しい一歩を踏み出す好機だと思う。

 新しいことにチャレンジしようとか、変な欲を出さずに、着実におもしろい作品を作り出して欲しい。

 

 

*1:発売された作品の雑さ加減をみても、発売時期が事前に決まっていたのであろうことは想像に難くない。明らかに磨き上げる意味でのデバッグが足りなかったし。

*2:余談だけど、発売延期を告知する動画で田畑Dがオンラインに接続できない人にも最高品質のFFXVを届ける為に延期するといってて、方便にしてももっと別のことを言おうよとか思った。実際の作品の出来は別にしても、以降のアップデートを予告している時点でオンラインに接続できない人は最高品質で遊べないのは確定しているわけで、端的にいって嘘だよなぁ。この辺の責任を田畑Dだけに求めるのは酷だとは思うが(ビッグマウスはあるにしても)

*3:間にFFXIVがありますが、MMOなので別枠扱い

*4:2年とか、3年とか期間が空いたこともあるみたいだが、10作品のうち半分の作品が翌年に発売されている。とはいっても、複数の作品を同時に作ってることもあったろうし、単純にはいえないけど

FFXVをクリアしたので、思ったことを書くよ

 FFXVをクリアしました。前に癖のあるアクションゲームとして感想を書くとか書いちゃいましたが、素晴らしいオープンワールドRPGでした。前半は。
 前半と後半では、やってることも違うし、評価も真っ二つでしょう。自分としては前半は70点、後半は10点でした。
 総合点数は足して80点ではなく、平均点に更に減点の30点です。

 

 ここから詳細を書く訳ですが、感想の前提を書いておきます。
 まずFFXVは事前にいろいろな関連作品が発表されましたが(独立した体験版や3DCG映画、アニメなど)、その類は一切見ていません。
 また、プレイ中に経験値を一気に獲得する裏技*1を使用して攻略しています。自分のプレイが下手すぎ、攻略に支障を来すと思ったからです。

 これで評価が上がれこそすれ、下がってはいないですが、書かないのはフェアではないので、書いておきます。

 これを読んで読む価値ないなと思った方はここで退散してください。

 では、本文。

 

 素晴らしい作品になるはずだったのになぁ。いやはや、本当に惜しい。スクエニの上層部が無能であり続けた報いを一身に受けている作品だと思う。

 前半のオープンワールド部分は問題はあれども素晴らしい。

 何より4人で旅するオープンワールドRPGというでかい金脈を見つけただけで賞賛に値する。

 4人で車に乗って、適当な会話をしながらだらだらと旅する。何度か戦闘をしたら夜になって、宿を見つけたり、キャンプをする。キャンプでは料理を食べて、1日のラストはプロンプトが撮影した写真を眺めながら、お気に入りの写真を選別していく。

 このサイクルが本当に素晴らしい。基本のサイクルが楽しいから、いろんな街や場所にいけば楽しさが増していくし、仲間に親近感も沸いてくる。

 ただ、全体的に雑なのが残念。ロード時間が長かったり、アイテム取得の反応がおかしかったりとかとか。

 4人で旅するRPGの部分が途中で決まったのか、それを活かすような形になってない部分も散見されて残念だった。

 いろいろ練り上げて、旅のおもしろさをもっと表現する作品に仕上がっていれば、かなり評価が上がった可能性はマジで高いと思う。

 

 後半については、物語を語る上では必要だったのかもだけど、ゲームとしては不要で、どーにかならんかったのか。

 途中、このゲームの良さを損なう箇所が何度かあって、本当に何がやりたいんだと思ったし。

 物語としては成立してる。クォリティは低いけど。ただ、その為にわざわざ描くほどのものだとは思わん。

 後半の感想を詳細に書けば書くほどに悪口にしかならないので、以上。

 

 正直な話、FFXVは後半をばっさり削って、前半の雑な部分を練り上げて、4人での旅の部分を重視して作り上げていれば、多くの人の心に残り続ける傑作になった可能性はある。

 何故それが出来なかったのかとマジで思う。

 

 まぁ、理由はなんとなく想像はつくけどなぁ。

 FFXVがFF アギトXIIIだった頃の設定が残ってて、消化しないといけなかったとか。

 いまのメインスタッフがFFXVの開発に入ったときには、後半部分がある程度出来上がって、諸々の理由で破棄する訳にはいかなかったとか。

 FFの大きな魅力の一つが物語で、そこを損ねるわけにはいかなかったとかとか。

 本当の理由はわからんけど、スクエニの上層部が本気で面白い作品をつくろうと考えてるなら、前半部分だけで勝負しようと決断すべきだったし、それが出来なかったスクエニ上層部は本当にダメなんだなぁとマジで思う。

 本気でFFを再生させたいのであれば、前半部分だけにして、一年延期して、作品を磨き上げて、傑作にして出すべきだった。

 だからこそ、本気で惜しい。

 

 何かが足りないのであれば、金銭的、時間的、人的、才能的な余裕がなかったんだなぁと思うけれど、蛇足は削ればいいだけだからなぁ。

 もっといえば前半のオープンワールド部分を中心にして、後半の要素を盛り込むことが出来なかったとも思えない。

 FFXIIIFFXIVと失敗している*2わけで、本気でブランドの復興を目指すのであれば、半端なもんを出すんじゃねぇよと思うし、こんな半端なのが現代の国産ゲームの代表だとあまりゲームをしない人に思われたら本当に残念*3

 

 次回作には、前半部分の4人で旅するオープンワールドRPGを拡張した作品を期待したいけれど、こんな作品を出してくるスクエニには期待できん。

 そういう作品ではなく、まったく別の微妙な新作か、FFXV-2を出してきそう。そう思わせてしまうスクエニの上層部ダメだとマジで思う。

*1:便宜的に裏技と書いてますが、ゲームのルールの範囲内のものです。バグとかではない。検索すれば普通に出てくる、簡単にレベルが上がる裏技みたいなやつ。

*2:失敗してないという人もいるかもしれないが、FFXIIIは当初の計画の大幅な変更を迫られ、FFXIVは新生せざるを得なかったことを考えれば、失敗してないというのは難しいでしょう

*3:ペルソナ5は本当に素晴らしかったんだけど、ペルソナ5FFXVの半分以下しか売れてないんだよなぁ

blog更新に関する報告

 「SONYが考えているPS VRの戦略を予想してみる」の記事を下書きに戻しました。

 記事の冒頭が品薄商法をやってるとなっちゃってたんですが*1SONYの吉田さんが増産するよといってるのを考えると、戻すべきかなぁと思いました。

 いろいろ検討して、なんとかなりそうなら再度掲載します。

 

追記:同日の日付で、再投稿の旨を記載し、追記なども加えた上で先ほど再掲載しました。

*1:よくある話題性を喚起する為ではなく、需要が見込めないので絞ってる意味合いで書きました

PS VRが成功する為の3つの条件、そして次の一手を予想する

※「SONYが考えているPS VRの戦略を予想してみる」のタイトルで掲載していた記事を、タイトルと一部を変更し、追記を加えた上で、上げなおしました(5/31)

 

 PS VRが発売されてから半年が経ちました。

 販売されると即日完売らしいんですが、そもそもの出荷台数が少ないので、ソフトがそれほど話題になることもなく。

 話題になったのは、Rez Infiniteとバイオハザード7くらいでしょうか。

 

 PS VRの発売前には、テック系のライターが絶対売れる、世の中を席巻するなんて記事を書いてるのも見たりしましたが、そんなことにはなっていません*1

 PS VRはPS以降のゲームの流れからは完全に離れたところから出てきた機器になります。そんな機器が一朝一夕で売れる訳もなく。

 既存のゲームの流れから離れた新しいハードを売るためには3つの要因が必要だと思います。


会社にハードを売るための環境が整っていること

 新しいハードを出したくても、魅力的なハードを開発するノウハウや製造ライン、資金力などが必要。
 当たり前だけど、SONYはこの条件を満たしてる。問題は他。


魅力的なハードができていること

 PS VRが魅力的なハードであるか。それはYESでもあり、NOでもある。
確かに現在発売されているVR HMDとしては安価で優秀。
 ただ、どれだけ現在のVR HMDのラインナップのなかでは優秀でも、PS VRは一般に普及するには問題がある。
 VR酔いする為にゲームを長時間プレイすることができなかったり、機器自体が重いので首に負担が掛かったり、錯視を引き起こす恐れがある為に12歳未満はプレイできなかったりとか。

 もちろん値段の問題もある。PS VRは他のVR HMDと比較すれば安価でも、絶対的な価格で考えれば高額であることはいうまでもない。他のハードどころか、PS4すら買えてしまう値段なのだから。
 他の機器よりいくら優秀でもPS VRをゲームの周辺機器として普及させるには高すぎるハードルがある。


魅力的なソフトがたくさん発売され続けること

 PS VRはゲームを遊ぶ為に作られたハードである。だから、ソフトが必要になる。それもできるだけたくさん。いろんな種類のゲームが。
 ただ、SONY本体はPS VRを出してもソフトを量産する体制は整っていない。
 PS VRを買ったユーザーを本当に満足させるにはサードパーティの力が必要になる。でも、サードパーティにソフトをつくってもらうにしても限界があるし、そもそもVRで魅力的なソフトを製作するノウハウを持ち合わせていない。
 必要なのはサードパーティが継続的に魅力的なソフトを出せるような体制。

 まとめるとPS VRが一般に普及するにはまだまだハードルが高く、ソフトを供給するサードパーティにはノウハウがないので、魅力的なソフトを量産するのも難しい。
 ただ、これは時間を掛ければ解決できる問題です。

 いまはVR酔いが酷くて重いので長時間遊べないけど、PS VRの次世代機や次々世代機なら改善されるでしょう。錯視も研究が進めば回避する方法も見つかるかもしれない。
 ソフト開発もそうです。いまは試行錯誤でゲームをつくっているけれど、時間を掛ければ上手いやり方や面白い表現方法が見つかるでしょう。
 そうなれば安定してヒットするゲームが発売され続ける環境ができる可能性は高い。いまは問題が多いハードだけど、時間が経てば解決されていくはず。
 そうなるには2,3年では無理。2020年以降にそういう条件が揃えば、大ヒットする可能性はある。

 じゃあ、なんでPS VRを2016年に出したんだ。2020年以降に出せばよかったじゃないかという疑問は尤も。
 でも、それだとノウハウが貯まらない。ハードは確かに進化するかもしれない。でも、ソフトはハードが発売されて、遊ぶ人がいて、市場での試行錯誤が伴わないと進化していかない。

 うだうだ言わなくても、ハードさえヒットすれば、サードパーティは後から続々とついてくるよ!!!なんて思ってる人もいるかもしれません。
 過去にはそんな形で大ヒットしたハードがありました。

 ただ、そのハードでソフトをつくるノウハウがサードパーティにまで広まっていなかったばかりに、ハードメーカー以外からは魅力的なソフトがあまり出てこなくて失速したんです。
 あえてハードの名前はいわないけど*2、同じ轍を踏まない為には急激な成長ではなく、長く緩やかな成長が必要になる。

 

 長期的な視点でみると、サードパーティがVRの開発をどこまで本腰でやり続けてくれるかがいちばんの懸念点でしょう。
 いまはVRブームだし、将来的な投資になると思ってるからソフトを出してくれているが、市場ができておらず利益が出ないものにどれだけ投資をし続けてくれるか。
 ゲームセンターとか、他の方面からもVRへの賑わいが産まれれば、相乗効果は出てくるのだけども。
 おそらくここから数年は技術の進化とSONYの体力の我慢比べになるでしょう。どちらが勝つかは神のみぞ汁。

 

 折角、書き直したので追記をすると、

 おそらくSONYがVR関連の施策として次に出してくるのはコントローラーかなぁ。

 いまだとPS4のコントローラーと、PS Moveが対応してるけど、どちらもVR HMDの操作には問題がある。

 PS4のコントローラーはHMDをつけていると、ボタンの配置などがわからなくなるので、初心者お断りになる。

 いまのユーザーは、ほぼゲーマーだから問題ないけど、将来的にコンシューマのゲームをまったくしない一般のユーザーが入ってくると、ここが高いハードルになりそう。

 SONYPS Moveを推してるみたいだけど、あれも重いし、わざわざ2本も揃えるのは金額的に手間。そもそもあれはPS VRを想定して作られたものじゃない。

 

 そこから考えると、次世代のPS VRの発表のときに新しいコントローラーを発表してくるんじゃないか。現在のコントローラーと同じ操作ができて、なおかつ直感的に遊ぶこともできるやつ。

 おそらくこれを読んでる人なら、なんとなーく似たようなのが想像できるんじゃないかと思う。Nintendo SwitchJoy-conとか、Oculus touchとか。

 必要なことと、やりたいことを考えれば、SONYが出してくる新しいコントローラーはその2つを混ぜた感じのものになるんじゃないかなーとか思ったりします。

 

 出してくるのはいつか。現世代のPS VRがまだ出たばかりであることを考えれば、今年や来年はさすがにないでしょう*3

 再来年と考えていくと、次のPS5と一緒に本格展開みたいなのも視野に入る。それだとコントローラーも同時に展開できるし、いろいろノウハウも貯まり、環境も整っている。

 世代交代の時期を考えると、2020年頃の発売がありそうか。ちょうどPS3からPS4が7年だし、PS4発売の7年後。

 問題はやはり、その頃までVRの機運が続いているかどうかだなぁ。しばらくは既存のゲームの流れの作品が売れるだろうけど、見たことがないゲームがたくさん出てくると盛り上がると思うので、そのときが楽しみです。

*1:これにはPS VRの量産が難しいことがあるようですが、現在の出荷状況を見る限り、おそらくSONYも短期的にそこまでのヒットになるとは思ってなかったはず

*2:Wiiのことです

*3:iPhoneのように毎年バージョンアップなんて話になれば盛り上がりそうだけど、そこまで売れてないし、大量生産は難しいらしいし、ないかなぁ

PS4 Proなどの発売で任天堂は意外と得したのかもしれない

 去年今年とゲーム業界は新ハードラッシュとなっている。SONYPS4 Pro、任天堂Nintendo Switch、そして年末に発売予定のMicrosoftのProject Scorpio。

 

 任天堂WiiUを展開していたが、性能が足りず、販売も振るわなかった為、やもなく新ハードとしてNintendo Switchを出すことになった。

 対するSONYMicrosoftは余裕綽々で、VRに関する新展開をする為により性能を向上させた上位機種を出している(PS4 Proは発売済、Project Scorpioは年末発売予定)*1

 

 WiiUで性能が足りなかったものをNintendo Switchで追い付いたのに、上位機種を出されて引き離された状況は、一見すれば任天堂に不利な出来事ではないかと思える。

 しかし、SONYMicrosoftがこのタイミングで上位機種を出してくれたのは、任天堂にとってメリットの方が大きかったのではないだろうか。

 

 もしSONYMicrosoftが上位機種を出さずに、任天堂だけが新機種展開をした場合を考えてみよう。

 もちろん新機種発売ということで話題にはなるだろう。

 だが、SONYMicrosoftが新機種を出さないのに任天堂だけが出す為、WiiUの失敗がより際立つ結果になる。

 とすると、満を持して出したNintendo Switchにも悪影響が出かねない。

 

 実際にはPS4 Pro(とPS VR)が先に出たことで、"WiiUが失敗したから任天堂だけが新機種を発売する"ではなく、"ゲーム業界は新機種を出す流れだったので任天堂も出しただけ"という印象が強くなる。

 事実は何も変わらないのだけど、負けた印象が目立たないのはメリットが大きい。

 

 しかも、SONYMicrosoftも上位機種専用ソフトは出さないと宣言しているので、ソフトに関しての性能差は大幅に縮まったことになる。

 上位機種はあるといっても、上位機種を買うのはマニアだけで、そういう人はハードは全部揃える人か、低性能な任天堂ハードには興味がない人に二極化するだろうから影響はあまりない。

 どちらかといえば、上位機種の発売に伴い、現行機種(PS4Xbox one)が値下げされて、Nintendo Switchと同じ値段になったことの方が影響が大きい。

 

 SONYMicrosoftの現行機種が値下げされたといっても、遊べるソフトの数も、種類も全然違うので、そこまでNintendo Switchと対立するかといえば疑問符。

 ゲーマーはすでにPS4Xbox oneを持っているだろうし、まだ持っていない人もすでにソフトが豊富にあるPS4とパーティ向けのNintendo Switchでは迷うことは少ないのではないだろうか。

 ソロで遊びたければPS4を買うだろうし、顔を会わせて複数人で遊びたければNintendo Switchを買うだけのこと。

 

 とはいっても、WiiUがダメだったんでNintendo Switchを出したという事実は変わんないんですけどねー。

 ただ、Nintendo Switchが好調な理由はこういうところにもあるのかなぁと思いました。

 新機種が連続して発売されて、お祭り騒ぎで財布の紐も緩みますし、完全な新機種というライバルがいないので比較的戦いやすいともいえる。

 複数のハードを買うのなんて、お財布的に厳しいですからねぇ。そういう状況でないだけでも、好条件になっているのかも。

 任天堂は目指せ今年度で1000万台なんてぶち上げてますけど、可能なんですかね。どーなんでしょう。このまま調子よくいけばいいけど、いろいろ難しいだろうなぁ。

 個人的な予想では秋頃には勢いが衰えると予想してますが、どーなることやら。

*1:Microsoftの場合は、Xbox oneの初動に失敗したのを今でも引きずっているので、巻き返しの意味合いも大きいだろうけれど

FFXVをプレイ開始したのでFFらしさについて考えてみた

 せっかくPS4を購入したんだからということで、FFXVを購入してみました。

 さっそくプレイを開始して、いろいろ気になる点はあったんですが、なんとなーく自分の中でこれはFFじゃないなぁと思ったので、自分にとってのFFの条件ってなんだろうかと考えてみた。

 ちなみにFFXVはまだ7h程度しかプレイしてませんので、話を進めるとその感想がひっくり返る可能性があります*1。また、FFらしさと作品自体の善し悪しは完全に別です。

 尚、自分のFF経験値は4(DS),5,6,7,8,9,10,12がプレイ済。5〜9は昔に何度もプレイしたとかそんな感じです*2

 

  自分が考えるFFの条件はこの二つ。

  • 多様な職種、地位、国籍を持つ人々が共に冒険をし、世界を救う物語
  • 素早さの順番にコマンド選択を行い、操作キャラクター自身の能力で戦うバトル

 他にもあるかと考えたんですが、FFは作品ごとにかなり変化しているシリーズなので、具体的な要素を含めるとFFの範疇から外れてしまう。そんな風に考えていくと、ここまでシンプルになりました。

 オールドファンだとジョブとか、クリスタルとか言いたくなるんですが、PS以降には当てはまらない。召喚獣も扱いが作品ごとに変わるので微妙。ATBは採用していない作品もあるので、ATBを分解した表現に。

 自分のFF原体験がFF5FF6なので、条件はその辺が深く影響してると思います。黎明期のFF1~3を遊んでらっしゃる方なら、当てはまらないと感じる可能性もあるかも。

 当たり前ですが、自分の基準なので百人に聞けば百通りのFFの条件があると思います。あくまで私の基準です。

 

 こんな条件は他のゲームでもだいたい当てはまるんじゃないの???といわれれば、その通りだと思います。それだけFFシリーズが自由な作風をしてきたということなんでしょう。

 それは初代の坂口博信さんから、次の世代のバトンが上手く渡ったということであり、個人の感性や価値観に囚われないシリーズであるということなんだとは思います。

 逆にドラクエは、堀井雄二さん、すぎやまこういちさん、鳥山明さんの誰か一人が欠けただけでドラクエじゃなくなる可能性が高そう。

 

 軽くネタバレぎみになりますが、どうしてFFXVがFFじゃないと思ったのかを上の方式で考えると、下記のようになります。

  •  FFXVの場合はパーティメンバーが4人で固定で、なおかつ全員が幼なじみであり、多様なキャラクターが集まっているといえず、一つ目は当てはまらない。
  • コマンド選択のバトル方式を捨てて、アクションゲームに近くなったので、二つ目も当てはまらない。

 一つ目に関しては、私がまだまだ序盤しかプレイしていない為、話を進めるとこれはFFだとなる可能性はあるとは思います。

 二つ目は完全な変化なので、FFにこだわりのある人には受け入れられない人もいそう。FFXIIも似たシステムだった記憶があるけど、ここまで降りきってはいなかったはずだし。

 

 最初にも書きましたが、FFらしいかと、ゲームとして面白いかは完全に別の話です。また、序盤しかプレイしていない為、これからFFXVはFFらしい作品だと思い直すこともあるかもしれません。

 ただ、FFXVをプレイすることで、FFは自分の中で単なるブランドではなく、FFである為の確固たる条件があると気付いたのが面白かったので、まとめてみました。

  FFXVを最後までプレイしたり、他のFFをプレイすれば、自分のFFの条件が変わることもあるかもしれません。

 でもやっぱり、私はオールドスタイルのRPGのが好きですね。JRPGと馬鹿にされるのかもしれませんが、そういう感じの古いRPGを愛していきたいと改めて思いました。

 とりあえずFFXVはFFではなく、癖のあるアクションゲームとして感想を書くつもり。乞う御期待。

*1:FFXVのちゃんとした感想はクリアしたあとに書きます。この記事はそこをメインにしてません。もし記事が書かれなかった場合はお察しください。

*2:正確にはFFXIIIもプレイしたのだけど、最序盤で挫折。

本屋大賞への批判に無責任に反応してみる

 ここ数年、本屋大賞に対していろいろ批判を見ることがあるんですが、個人的に思うところを書いてみます。

 

 ただ、昔は割と小説を読んでいたんですが(それこそ本屋大賞の候補作をすべて読破するくらい)、ここ10年くらいはろくすっぽ読めていません。

 なので10年前の感覚で無責任かつ適当に書きます。なので、そんな奴の話なんて読む価値ないよ!!!という方は、いますぐ戻るボタンで移動してください。

 そこを了承したよという方のみ(果たしているのだろうか)、続きをお読みください。

 

 あんまり長々と書いてもあれなので、本屋大賞に対してよくある批判に反応する形式で記載します

 

本屋大賞は質の低い作品ばかりがランクインしている

 現役の小説家や評論家などからよくあるのはこの批判。

 そもそも本屋大賞は他の文学賞とは立ち位置が異なり、文学的に優れた作品を持ち上げる為の賞ではない*1。既存の文学賞が取り上げないような埋もれた作品を書店員の視点で取り上げるのが賞の意義である。

 本屋大賞も質の高い作品を授賞させるようにすべきなんて批判も読んだけれど、そんな作品を授賞させる賞は小説家や評論家の方々が関わっているもので腐るほどあるわけで、わざわざ本屋大賞が迎合する必要はない。

 本屋大賞をいろいろ批判する業界の人たちはたくさんいるけどさ、そもそもそういう人たちが売れたり人気が出る作品を持ち上げることができなくて、業界を商業的に盛り上げる機能を果たせなかったからこそ、本来はその役割を果たす必要のない書店員が重い腰を上げて賞をつくらなければならなかったわけで*2、評論家や出版社が普段本を読まない人々に届く言葉を持とうとしなかったことが本屋大賞が産んだんじゃないかとすら思う。

 そこで本屋大賞を他と同じにしたりとか、潰したって何もいいことないし、それでも本屋大賞に文句があるのであればまずは自ら文学賞なりなんなりをつくって、本屋大賞がなくても読者層の底上げができるところを見せて、書店員を納得させるところから始めるべき。

 

本屋大賞の候補作は売れている本ばかり

 これに関しては異論はありつつ、一面的には正しいと思ったりする。

 昔はここまで偏ってはいなかったんだけど、確かに本屋大賞の候補作は実際に売れている本ばかり。ただ、本屋大賞の候補作に売れている本が多いのは必ずしも悪いことではないと思ってる。

 なんでかというと、音楽や漫画とかに比べて小説は売れている本がわかりにくいのよ。そういう情報誌を読んだり、blogとかで情報を仕入れるルートを持っているならともかく、普通に過ごしていても何が売れているのかってさっぱりわからない。

 音楽みたいに定期的にランキングが発表されるわけでもないし、漫画みたいに雑誌で人気作品が推されるわけでもない。それこそ続巻があるラノベとかだといろいろ宣伝とかもされるからわかりやすいんだろうけど、一巻完結の作品は人気が測りにくい。

 だから、小説に興味がない人でもわかるオススメ作品一覧と考えれば、本屋大賞の候補作が売れている作品ばかりになるのはありだと思うんだよなぁ。売れている本だから読書家は読んでいるだろうけど、そうじゃない人はわからないわけだし。

 それでも偏りすぎているというのは頷くしかない。ただ、それは単純に売れている本を外す形ではなくて、システムを変更させて、より洗練した候補作を前面に出す形にすべきだと思う。その辺りは後述します。

 

 余談だけど、この手の批判は本屋大賞はかなり受けるけれど、マンガ大賞は全然受けないんだよなぁ。マンガ大賞の一時期の受賞作は前作ですでに人気を確立している漫画家の作品ばかりで、業界を盛り上げる意味合いでは無意味だと思ってみてたんだけど*3

 それでいて、ゴールデンカムイが受賞したときにはまだ早いとか、批判がある程度あったし。単純に誰もが認める人気作家に箔をつけるのが、いちばん批判されないということなのかな。

  

百田尚樹氏の作品を授賞させたから信用できない

 これもよくある批判ですね。他の事例でも同じ台詞を言えるのかと思いますが。そもそも本屋大賞への批判が表だって出るようになったのは百田尚樹氏が受賞したタイミングですし。

 尚、百田尚樹氏の作品は受賞作を含めてまったく読んでいないので、良し悪しはわからないことを前提として書いておきます。

 

 本屋大賞は作者に与える賞ではなく、作品に与える賞です*4。だから賞をあげたから、本屋大賞に参加した書店員が百田尚樹氏の人格を含めて全肯定したなんてことはない*5

 私は受賞作を含めた作品は作者の思想や人格と離れた部分で評価されるべきだと思うし*6、作者がいかにダメな人でも作品が良ければ授賞させるべきだと思う。

 それを百田尚樹氏が受賞後に騒動を起こしたからって、こんな奴に授賞させて有名にした本屋大賞が悪いだのなんだのという人が多い。

 別に受賞作が面白くなかったから授賞させるべきではなかったってのはいくらでもいっていいし、言うべきだとは思うけど、作家自身の評価と作品は別にされるべきではないか。それともすべての賞は候補者の思想調査、身辺調査を行った上で授賞させるべきだとでもいうつもりなんだろうか。

 犯罪を起こして捕まったアーティストのCDが回収されたときに、作品とアーティストは別だから回収されるのはおかしいなんてコメントが出るのをよく見ますけど、それとは真逆の反応なんですよね。

 それだけ百田尚樹氏が嫌われてるということなんだろうが、それでも八つ当たりが酷すぎるんじゃないのと思う。本屋大賞が人気を出したというけれど、別に本屋大賞関係なく、作品自体はそれまでも売れていたらしいからなぁ。それまでにも候補になってるし。

 

蜜蜂と遠雷」で恩田陸さんが直木賞と同時授賞をしたから存在意義を失っている

  これに関しては意味不明なのですが、最近、見たので取り上げてみた*7

 確かに打倒! 直木賞と初期の本屋大賞がいってたのは事実だが、同時授賞で存在意義を失ったとか、いろいろ短絡的すぎないか。

 というか、同時授賞することになった理由って、本屋大賞が権威化したんじゃなくて、直木賞が大衆化したから結果的に同じになったんじゃないかと思ってる。

 それはこのデータ*8を見れば、なんとなく予想がつく。

 

2004年上半期の直木賞選考委員一覧(年齢は当時)

阿刀田 高(69歳)、五木 寛之(71歳)、井上 ひさし(69歳)、北方 謙三(56歳)、田辺 聖子(76歳)、津本 陽(75歳)、林 真理子(50歳)、平岩 弓枝(72歳)、宮城谷 昌光(59歳)、渡辺淳一(70歳)

 

2017年上半期の直木賞選考委員一覧

浅田 次郎(65歳)、伊集院 静(66歳)、北方 謙三(69歳)、桐野 夏生(65歳)、高村 薫(63歳)、林 真理子(62歳)、東野 圭吾(58歳)、宮城谷 昌光(71歳)、宮部 みゆき(56歳)

 

 選考委員の年齢をみれば、どうして昔よりも大衆化することができたのかは一目瞭然でしょう。

 2004年は70歳以上が5人と半分だったのに対し(しかも69歳が二人)、2017年は1人だけ。

 2017年は明らかに選考委員が若返っているし、現役の第一線で活躍されている方が多い。若い選考委員が増えれば、それだけ新しい作品が評価されやすくなる。

 そもそも恩田陸さんが今さら直木賞を受賞するってのもおかしな話で、恩田陸さんの人気と実力とキャリアを考えれば、もっと早くに受賞していてもおかしくない。

 それをたまたま同時授賞になったからって、存在意義を失うとかいうのってどうなのよ。

 

 それに上にも書いたけど、本屋大賞は売れる本がたくさん候補作になる状況で、初期から比べてもどんどん大衆化してる。直木賞とは真逆の方向。だからこそ質の低い作品が多いとか文句のいう人が多いわけ。

 そこからすれば権威化というのも的外れだってのがわかる。権威化が何を意味してるのかは該当の記事*9を読んでないからわからないけど、既存の文学賞と似たり寄ったりになっているというのであれば上記の理由であり得ないし(揺り戻しが起きているなら歓迎すべきことだと思う)、商業的な意味では権威化してるというならば、今さらの話だろう。

 どちらの意味でも的外れ。もっといえば所詮文藝春秋社の賞でしかない直木賞と、一般の書店員が集まってやっている本屋大賞では根本的な役割が違う。

 

では、本屋大賞は改善する必要はまったくないのか

  本屋大賞への批判に対してつらつらと書いてきましたが、じゃあ、本屋大賞はこのままでいいのかといえば、それもまた微妙かなぁと思います。

 書店員から見たおもしろい本を発掘しようという理念を変える必要はないと思いますが、やはり問題はあります。

 で、それが起こる理由もはっきりしている。本屋大賞に参加するハードルが低すぎるんです。

 本屋大賞に参加する為には書店員でなければならない。逆にいえば、書店員であれば日頃ほとんど本を読んでなくても参加できる。

 本屋大賞が劣化しているとすれば、この部分が大きく影響していると思います。

 

 それに対する対策はいろいろ考えられますが、マンガ大賞のシステムを採用するのがいちばん有効なのかなと思います。

 要するに本屋大賞の第一次投票の段階で、選考委員となる書店員を事前審査制にする。書店員の中で、見る目がある人とか、たくさん本を読んでいる人に声を掛けて、その人たちに第二次投票に上げる本を推薦してもらう。

 その集まった作品の中から第二次投票を行うわけですが、ここでは今まで通りに全作品を読んだ書店員なら誰でも投票できる方式を採用する。

 

 発掘部門を強化するとか、別の方法もないことはないでしょうが、やはり本屋大賞本体がメインなので本体を変えないとどーにもならない部分は多いでしょう。

 この方式を採用することで、マニアックな本が候補作に並んでしまう危惧もありますが、その辺りは書店員の方々の見る目と商魂に期待するしかないです。

 

 長々と書いてしまいましたが、果たしてどれだけの人がこれを全部読むんだろうか。

*1:本屋大賞の候補作が文学的に劣っているという訳ではない。念の為。

*2:書店員も業界を盛り上げる指名を持っているという人もいるかもしれないけど、それは店舗ごとのミクロな話で、業界というマクロな話は小説家や評論家、出版社の仕事だと思うよ

*3:単純な賞の方向性の違いなのだけど、マンガ大賞本屋大賞が同じ方向を向いていても、片方は受け入れられ、片方は批判されるのは不思議だなぁとか、そういう話です。それが悪いとか、そういう話ではない。

*4:恩田陸さんが2度目の授賞をしたことからも明らかですね。

*5:そもそも賞をあげただけでそこまで責任を求められること自体がおかしいわけだが

*6:もちろん作品にその思想が反映されていたり、内容自体に問題があるなら、その反映された思想や問題の是非も含めて作品は評価されるべきだと思う

*7:産経新聞の記事ですが、根拠は同時授賞しただけっぽかった。

*8:直木賞のすべてより引用 http://prizesworld.com/naoki/

*9:毎日新聞がそんな見出しを出していたらしい。