ポスト宮崎駿について書いてみる

 雑誌の記事とかでポスト宮崎駿について語られることがたびたびある。

 私もそういう記事は好きなのだけど、割と雑でどーなんだろうと思うことが多いので、今日はその辺りについて書いてみる。

 

 ポスト宮崎駿と軽くいうけど、ポスト宮崎駿とは何ぞや。宮崎駿監督の次に宮崎駿監督がいた席に座る人。

 そもそも宮崎駿監督がアニメ界や映画界で果たして来た役割は果てしなく多く、一概に言えるものではない。

 その役割は長い年月があって背負うことになったものなので、いくら才能ある監督が出てきたところで一朝一夕で担える訳がない。

 

 ポスト宮崎駿を一口にいっても、興行的な意味なのか、作風的な意味なのか、思想的な意味なのか、客層的な意味なのか、会社的な意味なのかでも変わる。

 それを一括りにして語っても意味がないし、全部の役割を担える人なんている訳がない。

 

 一時的に細田守監督がほとんどの意味でのポスト宮崎駿の最有力な位置にいて、期待も掛けられてはいた。

 だが、細田守監督のやりたいことが、ポスト宮崎駿として求められるものと違ったこと、興行的な意味合いでの立場が新海誠監督に移ったことから、現在語られることは少ない。

 

 日本映画界を支える莫大な興行を生み出す、興行的な意味でのポスト宮崎駿新海誠監督で確定だろう。

 それ以外の意味でのポスト宮崎駿は語る人によって異なる。作風と客層を引き継ぐ意味では高坂希太郎監督になるのかもしれない。

 米林宏昌監督も似た立場であるが、あまりにも直接的にジブリを継ぐ立ち位置になった為、難しい位置にいる気がする*1

 客層だけで考えてるなら、私が知らない監督が当てはまると考える人もいるかもしれない。

 

 ポスト宮崎駿を語るのは楽しいし、酒の肴に語るのであれば割と適当でもいい。

 ただ、真面目なアニメの記事でいろんな方向性をごちゃ混ぜにして語るのはどーなんだろう。

 せめてどういう意味合いでのポスト宮崎駿を語りたいかは書いて欲しいし、書くべきだ。

 雑に語られて余計な期待を掛けられるのは、語られる監督に失礼。過大な負担を背負わせるべきではない。

 

 ポスト宮崎駿が注目される中で、いろんなアニメ監督の作品が劇場公開されるようになったのはいいことだと思う。

 興行的な意味を新海誠監督が引き継いだことで、このバブルはもう少し続きそう。今年も更におもしろい作品が観れることを期待しています。